どこかに鈍痛を感じる毎日か
誰の言葉か忘れましたが「人は鈍痛を感じながら生きている」という言葉を思い出しました。
鈍痛というのはもちろんメタファーで、物理的、肉体的な「重い痛み」「鈍い痛み」を指しているのではなく、精神的な「鈍痛」を指していると思います。
多くの人が何がしら、思い当たるフシがあるのではないでしょうか?
鈍痛を錯覚していないか?
とはいえ、そういった抽象的な感覚で「そういえば」と思える反面、単なる思い過ごしでは?ということもあるかもしれません。
生きていると、何がしらの心配ごとやストレスを感じない日はありません。
それら1つ1つに、鈍い痛みを感じることもあるかもしれませんが、逆に、痛みでは?と思い込むことによって「鈍い痛み」「重い痛み」をリアルに感じて、大したことないのに「ジリジリ」「ヒリヒリ」した感覚を覚えてしまうとしたら、これはもったいないことです。
認識しなければないのと同じ
やはり、そういった心配事やストレスは「痛み」として認識しないことに越したことはないですね。
適度な「アラート」として受け止め、対策を打っていくことはもちろん大事ですが、本当は痛くもないのに「痛い」なんて思わない方が、精神衛生上、いいですよね。
そう、ないものはない、あったところで、認識しなければ、存在しないのと同じですから。